自己紹介

私は院修了後数年の精神分析系心理療法士です。
大学院在学中や日本社会で仕事を始めてから色々と感じることがたくさんありました。そしてそのことは1つの経験として記録をつけても良いかと思いました。

私が精神分析的概念に関心を抱いたのは大学生の時でした。ある文献購読の授業でクラインやビオンの本を購読しました。そうした中、クラインの投影同一化の概念やそれを洗練させたビオンのコンテイナー/ コンテインドモデルやβ 要素、α 機能といった概念を知り、それまで想像していた心理療法はこんなものだったと感じられました。

実際に私自身その頃までに心理療法的な関わりを受ける機会がありましたが、彼らはおそらく精神分析的な視点を持っていました。そうした関わりを通して、私にとっての物事の見方が文献を通して少しだけ、僅かに理解されたのだと思います。

私はその後大学院に進みました。その大学院は特別に精神分析に力を入れている大学院ではありませんでした。周りに精神分析的視点を共有できる人がいるのは自然だと思い込んでいた私は、精神分析的視点を共有できる人が殆どいない状態に驚きました。私は少数派でした。

大学院修了後は何を思ったか児童相談所に週数日勤務しました。そこでは主に発達検査をしていました。しかし、そこでも精神分析的視点を持っている人はおらず、そもそも発達心理学に関心がある人が多く、初めて精神分析的視点は臨床心理学全体の中での一部なのだと思いました。実際に臨床心理士資格試験の問題でも精神分析の問題は多くはなかったです。

そうして私の認識は変わりました。私は臨床心理士になりたかったのではなかったと。あくまで、精神分析的心理療法士になりたかったのだと思いました。

その後私の認識を改めて児童養護施設に心理療法担当者として勤務することになりました。しかしそこでも現実との隔たりを感じることになります。その施設は比較的裕福で施設もきちんとしていました。ある程度職員も多く、心理療法に集中できるように思いました。最初は人数が足らないとのことで、行事に参加することもありました。それは自然なことだと思いました。しかしながら、職員が増えたにもかかわらず、行事に参加して欲しいとの気持ちを感じました。結局のところ、心理療法担当は「優しい人」でいてくれればよく、心理療法担当は実際には必要とされていないように感じられました。こうした中、私の思っていた心理療法はこの施設では行えないと思いました。地域のSVGに参加する機会もありましたが、思っていたものとは異なりました。そして、現在は別の職場に籍を移しました。

色々と感じることはあったのですが、少しずつここに書いていきたいと思っています。